ガル山とは⑦~うつ病療養と逃避編~

ガル山
ガル山

おこんにちは!ガル山(@GaruGaru_nyaaan)です!

うつ状態で仕事を辞めてしまったガル山、ここから第二の暗黒時代がはじまります。

うつ状態と療養

うつ状態が悪化し、仕事を辞めたわたしはほぼ寝たきりで日々を過ごすことになります。
2週間に1度の通院と布団の往復。

毎日決められたとおりに薬を飲み、寝て、起きて、ネットゲームをして、また寝る。
その繰り返しの日々が3年続きます。

困窮するわたしと機能不全家族

相変わらず父と母の仲は悪く、うつ病のわたしが二人のコミュニケーションの仲介をしているような状況でした。

わたしは働ける状態ではなかった為、失業手当をもらうことができませんでした。
あるのはわずかな貯金だけ。

しかし 両親はお金に困っているわたしに気付きもしませんでした。

治療費、年金や携帯代…。
人間は生きていくだけでお金がかかりますが、そのあたりの心配は全くされず、寝たきりでいるわたしは半ば放置されるような形で3年間を過ごすことになります。

3年目の気づき

わたしはある時、ふと3年も治療をしているのに全くよくならない、むしろ悪くなっているのは何故だろうと疑問を抱きはじめます。

そうです、当時の主治医はヤブ医者だったのです。

多剤処方に1分診療、効果がでていない薬を出し続けるなど…精神的に参っていたわたしは、それがおかしいと気付くまでに3年かかってしまいました(治療に関して両親は無関心でした)。

そして わたしは主治医に無断で断薬をし、他の病院に転院することになります。

断薬後、副作用で90キロ近くまで増えた体重は2か月で60キロまで減りました。
また昼間の眠気がなくなり、昼間活動することができるようになります。

転院後の主治医は「飲まない方が元気ならそれでいい」と、断薬には前向きで、その後2年は薬なしで元気で過ごすことができるようになります。

空気が読めない父

元気になって初めての夏、わたしは友人たちと自宅でバーベキューをします。
友人たちはわたしが元気になったことをとても喜んでくれました。

その時、自分の貯金から箱ビールを買い、あとで飲むように数本とっておきました。

その日バーベキューがおわった後、いとこたちが自宅に遊びに来た時、事件は起こりました。

父がわたしのビールを無断で「これ持って帰れ!ほら。」といとこたちに渡してしまったのです。
わたしはさすがにムッとして、いとこたちが帰った後に「あのビールわたしのなんだけどな」と言いました。
ごく普通のトーンでです。

すると突然父は激高し、「何がいけないんだ!!あ?!買えばいいのか買えば!!!!」と、顔を真っ赤にし、口角に泡をためながらわたしに怒鳴りつけてきました。

その間母も目の前にいました。
しかし 母は父を止めることもなく、ずっとスマホを見続けていたのです。

わたしはショックでした。

母はどこまでも自分が大事なのだなと。
きちんと父と向き合って、喧嘩になってもいいからコミュニケーションをとるべきところをずっと黙って逃げ続け、目の前で娘が理不尽に怒鳴り散らされていても尚黙り続ける。

父や母にとってわたしは何なんだろう と絶望しました。

そこからわたしは父と顔をあわせることができなくなり、食事も喉を通らず、自室に籠って1週間ほどに過ごすことになります。

実家からの逃避

そしてわたしは、新幹線で4時間ほどの距離に住んでいた、ネットゲームの友人だった故ぼーい(死んでない)の家に駆け落ち同然で逃げるのです。

ぼーいとの生活は、初めてのことだらけで大変だったものの、楽しいものでした。
毎日自分の自由なように料理ができる、家事ができる。何も口出しされない、否定されない。
それだけで天国のようでした。

それまで飲んでいた強い眠剤を飲まずに眠れるようにもなります。

そして わたしはそこで、自分の家事の要領の悪さに気付くのです。

発達障害との出会い

わたしは自分の家事の要領の悪さ(とにかく時間がかかる、ひとつのことしかできない)と、今までのうつ病の病歴から、何か根本的な問題があるのではないかと考えはじめます。

そんな時、ネット記事である文言を見つけます。
『女性の発達障害』というものでした。

発達障害自体は知っていましたが、わたしに当てはまるところはあまりないと感じていました。

しかし 『女性の』と銘打つくらいなのだから、何か新しい情報があるかもしれない と、その記事を読んでみたのです。

女の子と仲良くできない、不注意(授業中の居眠りやお絵かきなど)の多さ、家事の要領の悪さ、体調不良の多さなど、まるでわたしのことが書いてあるかのようでした。

そしてわたしは「自分は発達障害だ」との確信をもち、診断を受けるのです。

コンサータで一変する生活

わたしは診断後、ストラテラを服用しますが、眠気と希死念慮の副作用がでてすぐに断薬となります。

その後コンサ―タを飲み始め、世界が一変します。
頭の中が整理される感覚、手足の多動がおさまる、体のだるさが消える、昼間眠くならない…。
健常者はこんな世界の中を生きていたのかと驚いたことを覚えています。

家事の要領も少しずつ良くなっていきます。

沈黙という暴力

ぼーいとの生活に慣れてきた頃、やはり喧嘩をするようになります。
しかし 彼は喧嘩をすると黙って何も言わなくなってしまい、そのまま何日もコミュニケーションが取れなくなります。
長い時は1週間ほど無視され続けたことがありました。

改善してほしいことがあっても言うと無視されて話にならない、そしてまた新しい問題が起き、話し合いをしようとするも…無視。

そうやって悪循環を繰り返していき、わたしは少しずつ精神的に消耗していきます。

身の危険を感じた瞬間

あるとき、彼の友人と会う予定の日に、またいつものように話し合いができずに喧嘩をし、この時珍しく彼が激高しました。

「お前は最低だ!クズだ!」と叫び、部屋のものに当たりはじめたのです。
のれんやカーテンをひきちぎり、床に叩きつけます。
わたしは恐怖で全く動けませんでした。

そして部屋をぐちゃぐちゃにした後、何事もなかったかのように洗面所に行き身なりを整え、友人と会いにひとりで出かけて行ったのです。

わたしはこの時、1年間続いた生活を捨て、別れようと決意します。

生活保護か実家に帰るか

わたしは悩みます。
ストレスで体調が悪く、その時の仕事を辞めるつもりでいたため、収入がなくなってしまうという状況でした。
生活保護か、実家に帰るか。

わたしは久しぶりに母に連絡することにしました。

彼と別れることにしたこと、次は直接暴力をふるわれるのではないかと恐れていること、生活保護を検討していることを伝えます。

電話に出た母はわたしの身を心配し「お父さんもお母さんも変わったから、帰ってきて」と懇願してきます。

わたしはその言葉を信じ、実家に帰ることになるのです。

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