
おこんにちは!ガル山(@GaruGaru_nyaaan)です!
今日は恐怖の中学校編行ってみたいと思います。
突然男女がわかれた瞬間
小学校までは男友達とつるんでいたので、中学校でもそのつもりでした。
しかし 現実はそこまで甘くはなく…。
中学に入学した瞬間、つい何日か前まで同じ教室でキャーキャーやっていた男女が、男子は男子、女子は女子で固まるようになってしまいました。
これには焦りました。一応女の子の友達もいましたが、大の仲良しという感じではなく…。
この時は自分のことを客観視できていませんでしたが、当時は容姿への気遣いが全くできておらず、また男子とばかり遊んでいたので粗野なところがあったと思います。
そんなわたしと仲良くしたがる子がいるわけもなく。
なんとなく複数のグループを行き来する、浮いた中学校生活になるのでした。
部活
部活は吹奏楽に入りましたが、新入部員で楽器経験がないのはなんとわたしひとり。
1年生の頃は覚えが悪く、とても苦労した覚えがあります。
そして なぜか全然関係ない他パートの先輩に嫌われてしまい、あからさまな嫌がらせを受けるようになってしまいます。
はやっていたプロフィール帳の紙をわたし一人だけもらえないとか…(今考えるとしょうもない)。
2年生になり、後輩ができました。その後輩にはとても慕ってもらいました。
また その頃には先輩にその後の人生で呼ばれ続けることになるあだ名をつけてもらい、先輩との仲も良くなっていきました。
3年生の頃には部の中で一番うまいと言ってもらえるまでになっていました。
しかし 相変わらず同級生とはうまくいかず、1年生の頃から卒業するまでなんとなく浮いたままなのでした。
勉強と私生活
そして小学校では授業を聞いていなくても余裕だった勉強にも段々とついていけなくなっていきます。
特に数学。後に発達障害診断時に算数LDがあることがわかるのですが、当時は知る由もなく。
人生で最低点数の22点を取ったのも中学生の頃でした。
この頃わたしは学校生活がうまくいかないこともあり、当時流行っていたヤフーチャットにハマってしまいました。
毎日寝るのは2時3時、朝は何とか起きても授業中は寝てばかり。
そして放課後は部活で…と、毎日くたくたな日々を送ることになっていました。
外見への気遣い
1年生の頃、頼んでも替えのジャージを買ってもらえず、体臭のことでからかわれることもありました。あれはつらかった…。
中学校も3年生になる頃、やっと外見に気を使わなければならないということに気が付きます。
はじめてヘアアイロンを買い、髪をまっすぐにしたり、冬休みにダイエットをして5キロほど痩せたりしました。
ここで疑問になるのは母はなにをしていたか?ということだと思います。
母は母でファッションや身なりにに頓着がない人だったので、身だしなみの整え方なども全く教えてはもらえませんでした。
わたしの下着や服は近くのスーパーの衣料品コーナーや、当時ダサいの代名詞だったユニクロで買っていました。
ひどくなる体調不良
この頃、今思えば完全に過敏性腸症候群でした。
毎日ひどい下痢をしていたかと思えば、便秘で何日もでない…ということを繰り返していました。
夜眠れないこともあり、朝は起きれず。
なんとなく毎日体がだるく、頭痛や腹痛なども増えていました。
機能不全家族
この頃になると、母は末の弟の小学校に介助のために毎日付き添うことになります。
疲れて機嫌の悪い母と、これまた疲れて何もできないわたし。
毎日のように「なんで家事やってくれないの!」と怒鳴られていた記憶があります。
正直中学校の頃の家庭での記憶があまりありません。
勉強をしたくても母が居間にいることを強制するような空気を出していて、自室にいけなかったのはよく覚えています。
また 父の愚痴を毎日のように母から聞かされており、学校生活もうまくいかない、家庭も不和ということでかなり精神的に参っていきます。
高校受験
受験では内申点が良くないはずなのになぜか推薦の枠をもらえました。
が、面接で大学進学について聞かれ答えられず撃沈。
結局同じ学校を一般入試で受け、入学することに成功するのでした。
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